衛生士が器具で指を切った。受付が出勤の途中で転んだ。こういうとき、健康保険証を出して近くの病院にかかってもらう ── その形では、健康保険からの給付が出ません。
仕事や通勤が原因のけがは、労災保険の側です。そして労災保険は、人を雇っていれば、それだけで適用になります。人数の条件は、条文に書かれていません。
この記事では、労働者災害補償保険法と健康保険法の条文をもとに、①どの医院が適用になるか ②給付の入り口が3つに分かれていること ③「通勤」と認められる範囲 ④健康保険で処理してはいけない理由 を整理します。
スタッフを雇っていれば、それで適用事業になる
労働者災害補償保険法の第3条は、短い条文です。第1項は、労働者を使用する事業を適用事業とする、というものです。第2項で、国の直営事業と官公署の事業(労働基準法の別表第一に掲げる事業を除く)がこの法律の適用から外されています。歯科医院は、外れているほうには当たりません。
読みどころは、書かれていないことのほうにあります。
- 人数の下限がない。1人でも該当します
- 業種の限定がない。第2項で外れているのは国の直営事業と官公署の事業で、歯科医院は入りません
- 個人立か法人かで分かれていない
- 正規か非正規かも、この条文には出てきません
社会保険や雇用保険は、人数や勤務時間で線が引かれています。そちらの感覚のまま労災保険を考えると、「うちはまだ小さいから」という判断をしてしまいます。労災保険には、その線がありません。加入の入り口の違いについては「歯科医院の雇用保険の加入条件」と「歯科医院の社会保険、加入義務はどこからか」に、それぞれ整理してあります。
給付の入り口は3つに分かれている
同じ法律の第7条第1項は、この保険が行う給付を並べています。けがの原因によって、入り口が分かれます。
- 業務災害 仕事が原因の、けが・病気・障害・死亡
- 複数業務要因災害 事業主が同一人でない2つ以上の事業に使用されている人について、その複数の仕事が要因になったもの
- 通勤災害 通勤が原因のもの
- このほかに、二次健康診断等給付が挙げられています
2番目で押さえたいのは「事業主が同一人でない」という条件です。同じ法人の分院を掛け持ちしている場合は、ここには当たりません。週の前半はよその医院、後半はうち ── という衛生士がいる場合に、どちらか一方の仕事だけでは説明がつかない体の不調が起きることがあります。法律は、複数の事業の業務を要因とするものを、独立した枠として置いています。
「通勤」と認められる範囲には、条件が付いている
通勤災害の「通勤」は、日常語より狭く決められています。第7条第2項が置いているのは、次の条件です。
- 就業に関して行う移動であること
- 合理的な経路と方法によること
- 業務の性質を持つものは、ここから除かれること(そちらは業務災害の側になります)
対象になる移動として条文が挙げているのは、住居と就業の場所との間の往復、厚生労働省令で定める就業の場所から別の就業の場所への移動、そしてその往復に先行または後続する住居間の移動(省令の要件に該当するものに限る)です。
院長が知っておきたいのは、次の第3項です。移動の経路を外れたり、移動をやめたりした場合、その間と、その後の移動は通勤に当たらない ── という定めです。買い物に寄って、そこから先は通勤ではなくなる、という形になります。
ただし、同じ項にただし書きがあります。その寄り道や中断が、次の3つをすべて満たすときは、その間を除いて通勤として扱われます。日常生活の上で必要な行為であること。それが厚生労働省令に定められたものであること。やむを得ない事由があり、しかも最小限度にとどまること。何が「日常生活上 必要な行為」に当たるかは省令の側に書かれているので、実際の判断は、けがの状況を添えて労働基準監督署に相談することになります。
健康保険では出ない ── 条文にそう書いてある
ここが実務でいちばん効きます。健康保険法の第55条第1項は、他の法令による給付との調整を定めた条文です。
中身を要約すると、同じ病気・けが・死亡について、労働者災害補償保険法などから相当する給付を受けられる場合、健康保険の側の給付は行わない、という内容です。療養の給付も、傷病手当金も、この条文が並べているものに入っています。
つまり、仕事中のけがで健康保険証を使うのは、制度の上で通っていない道です。窓口で健康保険として処理してしまうと、あとから切り替える手間が発生します。
医院の側で先にやっておけることを、3つ書きます。
- 「仕事中と通勤中のけがは、保険証を出さずにまず院長へ」とスタッフに伝えておく
- 起きたことを、その日のうちに記録に残す(日時・場所・何をしていたか・経路)
- 労災の請求書には、事業主が証明しなければならない事項がある。書けるように、記録を先に作っておく
3つ目の根拠は、労働者災害補償保険法施行規則にあります。療養補償給付の請求書について、第12条第2項は、負傷または発病の年月日と、災害の原因および発生状況の2つは、事業主の証明を受けなければならないと定めています。
ただし、同じ項には括弧書きが付いています。この証明をする事業主から、非災害発生事業場の事業主は除かれます。非災害発生事業場とは何か、も同じ括弧の中で定義されています。ここで気をつけたいのは、この定義が指しているのが第7条第1項の第一号と第二号 ── つまり業務災害と複数業務要因災害 ── に限られていることです。その範囲での、けが・病気・障害・死亡が発生した事業場以外の事業場が、非災害発生事業場です。掛け持ちの衛生士がよその医院で仕事中にけがをした場合、うちの医院はこの「以外の事業場」に当たります。
どちらも、あとから思い出して書くものではありません。針刺しのように小さく見える事故でも、その場で残しておく ── 書き手として勧めたいのはそこです。
まとめ
- 労災保険は、労働者を使用する事業が適用事業。人数や、個人立か法人かの条件は、条文に書かれていない。第2項で外れているのは国の直営事業と官公署の事業で、歯科医院は入らない
- 給付の入り口は、業務災害・複数業務要因災害・通勤災害の3つ。ほかに二次健康診断等給付がある
- 「通勤」は、就業に関する移動を、合理的な経路と方法で行うもの。業務の性質を持つものは除かれる
- 経路を外れたり中断したりすると、その間と その後は通勤に当たらない。ただし、省令で定める日常生活上 必要な行為をやむを得ず最小限で行う場合は別
- 同じけがについて労災保険から給付を受けられる場合、健康保険の給付は行われない(健康保険法 第55条第1項)
- 療養補償給付の請求書では、負傷または発病の年月日と、災害の原因および発生状況について、事業主の証明が要る。ただし非災害発生事業場の事業主は除かれる。この「非災害発生事業場」は、業務災害と複数業務要因災害(第7条第1項の第一号・第二号)についての言葉(労災保険法施行規則 第12条第2項)
この記事で読んだ条文
事務長AIなら、ここが変わります
事務長AIには、インシデントの記録があります。起きた日付と場所、何をしていたかを、その場で残せます。スタッフの雇用契約と勤怠も同じ場所にあるので、誰がいつ勤務していたかを後から辿れます。請求書に事業主の証明を書くとき、手元にあると助かる材料です。

